ミヤコワスレは日本原産の深山嫁菜(ミヤマヨメナ)を江戸時代以降に改良された園芸種です。茶花でも生け花でもよく使われる花です。
承久の乱(1221年)で佐渡に遠島となった順徳上皇が佐渡の邸宅の庭に咲いていた花を見て、京の都の御所に咲いていた白菊を懐かしみ、
いかにして契りおきけむ白菊を都忘れと名づくるも憂し
と詠まれたことから、「ミヤコワスレ」という名前が付けられたと言われています。
しかし、時系列的に問題がある。
現在のミヤコワスレは江戸時代に改良された園芸種。
つまり、順徳上皇が佐渡でご覧になった花は今のミヤコワスレではない。
それではどのお花をご覧になって、どうして今のミヤコワスレは名付けられたのか?
諸説あります(チコちゃん風)が、私は以下の説を信じています。
ミヤコワスレの元の品種は「深山嫁菜」
順徳上皇は「深山嫁菜」をご覧になっていた。
実際、寒い佐渡に自生しているのか?
ネットで調べたところ、ありました。佐渡で数か所ではありますが自生しているそうです。とても綺麗な深山嫁菜の写真が掲載されているのでこちらをご覧になって下さい。
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都忘れ(ミヤコワスレ・ミヤマヨメナ)と順徳上皇 | 旅館番頭の佐渡観光情報ブログ
たしかに、ミヤコワスレと深山嫁菜は似ています。
この深山嫁菜を園芸品種に改良した時、江戸時代の園芸研究家達がこんな会話をしたのではないでしょうか。
「名前どうする?」
「昔、順徳上皇が深山嫁菜をみて、こんな和歌を詠まれたようだ」
「いいね~」
「それではミヤコワスレにしよう」
歴史を知ると、より愛おしく感じます。
一年前に新潟港から佐渡汽船に乗って、家族で佐渡に日帰りで遊びに行きました。3月末のまだ寒い時期でしたが、その日は珍しく一日快晴で佐渡金山、トキ保護センターに行き、最後は船乗り場でたくさん美味しい食事を頂きました。
次回は是非、深山嫁菜を見に行きたいです。